◆S53. 4.28 名古屋地裁 昭和43(行ウ)9 補償金増額請求事件(22)
和二五年五月三〇日法律二一四号)にいう文化財と同等の価値であると解せられるが、同法にいう文化財とは、要するに、建造物・家屋・古墳・都城跡等でわが国にとつて歴史上・学術上価値の高いもの等(同法二条一項)であり、かかる文化財としての価値は、単なる主観的感情的価値とは異なり、一個の客観的な価値というべきであり、しかも、経済的に評価しうるものであると考えることができる。そして、前記河川法七六条一項の通常生ずべき損失の補償については、前記二に述べたとおり土地収用法八八条に規定する土地の収用使用によつて土地所有者らが通常受ける損失の補償と同趣旨と解すべきところ、同条は一般的な客観的利用価値(同法七二、七三条はかかる価値についての損失補償である)以外の特殊な客観的価値についての損失をも通常受ける損失として補償する趣旨と解せられるから、右文化財的価値についての損失は右通常受ける損失として補償の対象になり、従つて、河川法上の通常生ずべき損失補償の対象になるというべきである。
被告は、損失補償の対象たりうる文化財的価値は、文化財保護法等により文化財として指定され、または指定するにたりる程度のものでなければならないと主張するが、同法による文化財の指定は文化財保護行政上の目的からなされるものであるから、右指定の有無ないし指定するにたりるかどうかは損失補償の要否を決する基準とはならないので、右主張は採ることができない。
前記二において認定した本件輪中堤の築造経緯・形状・機能等についての各事実に、前掲甲第一三ないし第一五、第一七号証、成立に争いのない同第一〇号証、証人Aの証言により真正に成立したことを認めることができる同第一一号“証の一、二、同゛証大の証言、鑑定人Fおよび同Gの各鑑定の結果を総合すれば、本件福原輪中堤は、一、形成過程から見た場合、右輪中堤の環状堤が江戸時代初期に形成され、昭和四二年当時まで完全に連続した形で残存した唯一の輪中堤であつたこと(岐阜・三重・愛知三県下に江戸時代数多く存在した輪中堤は明治時代以降、いわゆる三河川分流工事等により大きく変更、増築がなされたのが実状


